世界大百科事典(旧版)内の過激王党派の言及
【シャルル[10世]】より
…91年のピルニッツ宣言に荷担し,亡命貴族を率いてバンデ地方の王党派反乱(バンデの反乱)の支援に出発するが失敗する(1795)。1814年王政復古でフランスに帰り,とくに翌15年からルイ18世の欽定した〈憲章〉に反対し,過激王党派ultrasの首領となる。ルイ18世の死後,その年に即位し,革命によって土地を没収された亡命貴族への賠償を定めた〈十億フラン法〉等を成立させるなど,反動路線を推進した。…
※「過激王党派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」