世界大百科事典(旧版)内の達理堂の言及
【フランス語】より
…開国後は蕃書調所(ばんしよしらべしよ)でフランス語の学習・教授が始められた(1860)ほか,フランス政府の協力のもとに,通訳やフランス語に通じた士官養成の機関として横浜仏蘭西語学伝習所が設立(1865)され,フランス人による教授が開始された。維新以後は新政府の欧米文化導入政策を背景に,外国語,ことに英語を中心とする洋学塾が明治初期に隆盛を見たが,日本フランス学の始祖といわれる村上英俊(ひでとし)(1811‐90)の主宰する達理堂,フランス留学から帰った中江兆民の開いた〈仏学塾〉ではフランス語が講じられ,多くの門弟を集めた。官立の教育機関では幕末の開成所を引き継いだ大学南校,また東京外国語学校(1873設立)などでフランス語教育が行われたが,ことに法学や兵学の分野で重んじられたフランス語は,司法省明法寮(1871設立)や陸軍士官学校(1874設立)の教科にも採り入れられた。…
【村上英俊】より
…佐久間象山にすすめられてフランス語を学び,51年(嘉永4)江戸へ出て研究に専念,フランス語研究の先駆者となった。幕府の蕃書調所教授となり,維新後は家塾達理堂で多くの門弟を教えた。化学の分野でも業績がある。…
※「達理堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」