邢張米董(読み)けいちょうべいとう

世界大百科事典(旧版)内の邢張米董の言及

【邢侗】より

…1574年(万暦2)22歳で進士となり,官は陝西行太僕少卿兼僉事(せんじ)に至ったが,30余歳で退隠,泲水(しすい)の黎丘に来禽館を築いて賓客を招き,巨富を散じて没落した。最も二王を宗とした書で名高く,董其昌とともに〈北邢南董〉,張瑞図(ちようずいと),米万鍾(べいばんしよう)を加えて〈邢張米董〉と称された。画については現存するものを聞かない。…

【米万鍾】より

…海淀(北京)に築いた勺園(しやくえん)は当時有名であった。また書家として,邢侗(けいとう),張瑞図(ちようずいと),董其昌(とうきしよう)とともに,〈邢張米董〉と称された。代表作《寒林訪客図》(大阪,個人蔵)。…

※「邢張米董」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む