世界大百科事典(旧版)内の邯鄲郡の言及
【邯鄲】より
…春秋時代から衛の邑(都市)としてあらわれ,戦国の初めに趙の都がおかれると(前386),その地の利から物資の交易地となり,全国の商人が集まる屈指の大都会として大いに繁栄した。趙が秦に滅ぼされて邯鄲郡となり(前228),漢代では一族が封建されて趙王国がおかれたが,邯鄲の繁栄も秦・漢時代までであった。その後は政治的中心でなくなったためにしだいに衰え,邯鄲県として三国時代は魏郡あるいは広平郡に,唐以後は磁州に,明・清では広平府にそれぞれ属し,もっぱら一地方の農産物の集散地として近年にいたった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」