世界大百科事典(旧版)内の都城県の言及
【鹿児島[県]】より
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[沿革]
明治初年までの大隅国,薩摩国にあたり,江戸時代は鹿児島藩(薩摩藩)に属した。1871年(明治4)廃藩置県をへて,大隅国の一部と薩摩国,琉球国は鹿児島県に,他は都城県に属したが,翌年琉球国は鹿児島県を離れ,73年都城県が廃されて現在の県域となった。76年宮崎県を合併したが,83年再び分離した。…
【日向国】より
…旧国名。日州。現在の宮崎県および鹿児島県の一部。
【古代】
西海道に属する中国(《延喜式》)。日向ははじめは九州南部一帯の呼称で熊襲,隼人の居住地をいった。8世紀初めまず薩摩国を分出し,ついで713年(和銅6)に日向国肝坏(きもつき),贈於(そお),大隅,姶(あいら)の4郡を分割して大隅国を設置し(《続日本紀》),九州南部の一国としての境域が確定した。《延喜式》によれば臼杵,児湯(こゆ),那珂,宮崎,諸県(もろかた)の5郡より成り,国府は児湯郡(現,宮崎県西都(さいと)市三宅国分)に置かれた。…
【宮崎[県]】より
…また人吉藩預りの椎葉山(しいばやま)諸村は1868年日田県,71年人吉藩の所管となった。同年の廃藩置県を経て,大淀川を境に日向北部は美々津(みみつ)県に,南部は大隅国6郡とともに都城(みやこのじよう)県に統合・整理された。72年大隅国の一部を都城県から鹿児島県に移管し,肥後国球磨郡米良山が日向国児湯(こゆ)郡に編入され美々津県管轄となった。…
※「都城県」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」