世界大百科事典(旧版)内の都市疎開実施要綱の言及
【学童疎開】より
…太平洋戦争の末期,不利な戦局下で予想された空襲の被害を避けるために,大都市の国民学校初等科児童を個人または集団で農村地帯に移住させたことをいう。連合軍による直接的な本土攻撃の危機が増大した1943年12月〈都市疎開実施要綱〉が閣議決定されて都市施設の地方分散がはかられたが,長距離爆撃機B29による空襲が激しくなる中で大都市児童の生命を守るために44年6月〈学童疎開促進要綱〉が決定された。この決定により〈縁故疎開〉を原則としつつ,それが不可能な国民学校初等科3~6学年の児童を半強制的に〈集団疎開〉させた。…
【疎開】より
…生産疎開は,軍需工場の大都市からの分散方針で,早い時期から部分的に実施されてきたが,1944年11月から開始された軍需工場へのアメリカ軍の重点的な爆撃で日本の戦争経済は壊滅的な打撃をうけた。建物疎開は42年の防空法改正,翌年12月の都市疎開実施要綱の閣議決定により推進されることになった。これは防火区域を設定するための空地帯をつくること,重要施設(官公署や軍事施設,軍需工場)を守るため,その周囲の民家をとりこわし空地をつくるものが主だった。…
※「都市疎開実施要綱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」