野上谷(読み)のかみだに

世界大百科事典(旧版)内の野上谷の言及

【海南[市]】より

…人口4万7195(1995)。海南湾(黒江湾)に臨み,日方川および貴志川の流域(野上谷)を後背地に,近世以来商港として繁栄し,廻船問屋も多かった。特産品は黒江の漆器,野上谷のシュロ製品が主で,特に漆器は根来塗に起源をもち,紀州藩の保護のもとに最も重要な産業であった。…

【貴志川】より

…高野山に源を発して西に流れ,海南市沖野々で流路を大きく北に転換し,貴志川町を経て岩出町で紀ノ川に合流する。沖野々より上流は,野上谷と呼ばれ,低い分水嶺を越えて海南市の日方川の谷に至るが,河川争奪があったため貴志川に大きな曲流が生じたと解釈されている。野上谷一帯は,近世以来,シュロの栽培が行われ,下流部ではたわし,ほうき,縄の生産が盛んであった。…

【美里[町]】より

…紀ノ川の支流貴志川が中央を西流し,貴志川の支流鞆淵(ともぶち)川が北部を西流する。貴志川の谷筋は野上谷とよばれ,川沿いに高野街道が通り,中心集落の神野市場(こうのいちば)から南に竜神街道が分岐し,有田郡との境をなす長峰山脈を遠井辻(といつじ)峠によって越える。平安末期には高野山領の神野荘,真国荘が設置され,江戸時代も一帯は高野山領であった。…

※「野上谷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」