世界大百科事典(旧版)内の野中判の言及
【甲州金】より
…はじめは主として武具の購入や賠償金,戦功の褒賞等に軍資金として用いられたようであるが,しだいに民衆の間でも使用されるようになった。武田氏滅亡後から文禄年間にかけて(1582‐96)はとくに野中判が多くつくられた。1601年(慶長6)徳川家康は金銀貨幣を鋳造し,全国の幣制統一と貨幣鋳造権の掌握のため,甲州金の廃止を命じ,甲州金座も大久保長安の管下におかれた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」