朝日日本歴史人物事典 「野村万斎」の解説
野村万斎
生年:文久2.7.21(1862.8.16)
明治から昭和時代の狂言師。和泉流三宅派。幼名,良吉。前名は万造。野村万蔵家4代万造義比の長男として金沢に生まれる。4歳で苗字御免狂言師見習として金沢城内で初舞台。明治維新後は父の弟子たちに稽古を受け,明治16(1883)年には東京に居を移し,三宅庄市から大曲「花子」を伝授される。しかし生活に窮していたため,区役所や鉄道関係の勤務をしながらの舞台活動が続き,50歳でようやく狂言一筋の生活に入った。猾介なところがあったせいで同流の職分との折り合いが悪く,その点での気苦労が多かった。<参考文献>小林責「野村万斎のこと」(『狂言史研究』)
(石井倫子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報