世界大百科事典(旧版)内の金神封じの言及
【金神】より
…《仮名暦略註》には,金神に陽の天金神と陰の地金神があり,後者は災厄が重いとある。金神の祟りについては,西日本を中心に修験者や祈禱師によってその信仰が広められ,家造りにあたって金神の留まる方位に呪符を埋める〈金神除け〉や,稲荷などの社にまつりこめる〈金神封じ〉が行われた。こうした信仰の強い岡山県地方に,幕末期に生まれた赤沢文治(川手文治郎,のち金光大神)は,1855年(安政2),42歳の厄年の大患を契機として,日柄・方位にかかわる祟り神としての金神を,大地の神としてとらえ直す宗教的自覚に達し,〈実意丁寧神信心〉という篤実な生き方を説く金光(こんこう)教を創唱した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」