錦織剛清(読み)にしごおりたけきよ

世界大百科事典(旧版)内の錦織剛清の言及

【相馬事件】より

…誠胤は14歳で家督を相続したが,24歳のころから精神変調の兆候を示し,居室に監禁される。これを家令志賀直道(作家志賀直哉の祖父)らの主家のっとりの陰謀と考えた〈忠臣〉錦織剛清(にしごりたけきよ)が83年に志賀らを私擅監禁の罪で告発,これをきっかけにお家騒動が始まった。誠胤は時の東京帝大教授三宅秀らの鑑定により精神病と断定され,東京府癲狂院(松沢病院の前身)に収容されるが,これを不満とする錦織と相馬家のあいだではその後も訴訟の応酬がつづき,誠胤が糖尿病で死亡してからも,毒殺の疑いのため遺体の発掘調査が行われたりした。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」