鎧ヶ島(読み)よろいがしま

世界大百科事典(旧版)内の鎧ヶ島の言及

【兜町】より

…また甲山については,藤原秀郷が平将門を討ち,その首とともに兜を持ち帰り,この地に埋めたことによると伝えられている。なお,兜町は江戸時代中期までは鎧ヶ島と呼ばれる島だったため,現在でも〈島〉ないし〈シマ〉と呼ばれることがある。東京証券取引所【戸田 周作】。…

※「鎧ヶ島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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