世界大百科事典(旧版)内の長安城の言及
【宮廷】より
…秦の始皇帝は阿房宮をはじめとする700余の宮殿を建てたというし,漢代の未央(びおう)宮や甘泉宮なども大規模なものであった。隋・唐時代の長安もこれらと同じであって,たとえば唐の長安城の北端中央におかれた宮城たる太極宮には,儀式場たる太極殿や両儀殿のほか,門下省と中書省の建物があり,太極宮の西に掖庭宮,東に東宮が位置していた。これら三宮の南に皇城とよばれる官庁街が林立していたのであって,太極宮が内朝に,皇城が外朝に当たるわけである。…
【長安】より
…前漢が初めて城を築いて都とし,その後,前趙,前秦,後秦,西魏,北周,隋,唐の諸王朝いずれもここに都した。ただし前漢から北周までの長安城は今日の西安市の北西約10kmのあたりに,隋・唐の長安城(隋は大興城という)は西安市のあたりにあった。 西安市の周辺は早くから開発されたところで,今日,仰韶(ぎようしよう)文化や竜山文化に属する新石器時代の遺跡がかなりの数発見されている。…
【平壌】より
…王宮は一辺約620mの方形の城壁で囲まれ,また山城は六つの峰をとり囲んで周囲7kmほどの城壁が五角形に近い楕円形にめぐる。そして,586年には,そこから南西方6~7kmのところに,30年ほどかかって長安城を築き,本格的な都城を完成させた。長安城は,山城形式をとった北城,中枢的な内城・中城,さらに整然とした方格地割をもった外城からなり,全体を総延長23kmの城壁でとり囲むという壮大なものであった。…
※「長安城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」