長崎国旗事件(読み)ながさきこっきじけん

世界大百科事典(旧版)内の長崎国旗事件の言及

【中華人民共和国】より

…こうした状況を反映して,57年4月に派遣された日本社会党訪中使節団は,国交正常化,両国間交流の拡大,諸種の交流に関する政府間協定の締結などを内容とする共同声明を発表した。しかし,同年後半から始まった反右派闘争によって中国の対外政策が変化し,日本でも岸信介内閣が台湾寄りの政策をとって,第4次貿易協定に定められていた中国通商代表部の国旗掲揚の権利を否認したため,両国関係は悪化に転じ,58年5月の,いわゆる長崎国旗事件(長崎で開かれた日中友好協会主催の中国切手展で,一青年が中国国旗を引きずり下ろした事件)をきっかけに,すべての貿易契約が破棄された。中国政府はあらためて〈政経不可分〉を強調,文化・スポーツ交流も停止された。…

【日中漁業協定】より

…その主要な内容は,(1)中国政府の設定した軍事警戒区域,軍事航行禁止区域に日本漁船は立ち入らない,(2)中国政府が定めた機船底引網漁業禁止区域においては日本は自主的に操業を抑止するというもので,これにより安全操業が確保された。この民間協定は3年間継続されたが,58年の長崎国旗事件を契機として無協定状態となり,63年再び日中漁業民間協定が締結され,政府間協定の発効まで継続された。この民間協定の基本路線は政府間協定にもほぼ継承されるところとなった。…

【日中貿易】より

…52年,朝鮮戦争終結後,日中貿易協定が結ばれ,57年4月には広州において第1回の交易会(広州交易会)が開かれ,中国の第1次五ヵ年計画(1953‐57)の順調な発展に伴って日中貿易は急速に伸びていった。しかし58年5月,長崎で開かれた中国切手剪紙展で中国の国旗が日本の右翼により引き下ろされた事件(いわゆる長崎国旗事件)が起こると,中国は貿易関係の打切りを通告し,実質的に日中貿易は中断した。一方,中国は中国敵視をやめ,二つの中国をつくる陰謀に加わらず,日中国交正常化を妨げないという〈政治三原則〉を示してきた。…

※「長崎国旗事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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