《長暦御記》(読み)ちょうりゃくぎょき

世界大百科事典(旧版)内の《長暦御記》の言及

【後朱雀天皇】より

…天皇の治世は疫病流行など災厄も多く,延暦寺僧徒の大規模な嗷訴(ごうそ),伊勢神宮禰宜(ねぎ)らの入京上訴など寺社横暴の増大を感じさせる事件が起こっているが,1040年(長久1)の荘園停止令をはじめ,天皇の政治への意欲もうかがうことができる。天皇の日記《後朱雀天皇御記》(《長暦御記》)があるが逸文が伝わるのみ。陵は円乗寺陵(京都市右京区)。…

※「《長暦御記》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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