世界大百科事典(旧版)内の開宝寺の言及
【開封】より
…隴海鉄道開通以後は,若干の近代工業も起こり,河南省北部の農産物の集散地となったが,中華人民共和国に入って省都が西の鄭州にうつされ,現在では,学術・文化都市としての性格を強めている。宋代の遺跡は大半は滅びたが,城外北東の高さ55mの13層八角の開宝寺(現,祐国寺)の磚塔(鉄塔)や,宋の宮城あとと伝える竜台,相国寺などが残っている。また宋代開封の運河,汴河を中心に町のありさまを描いた絵として張択端の《清明上河図》(北京故宮博物院)が名高い。…
※「開宝寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」