関三刹(読み)かんさんさつ

世界大百科事典(旧版)内の関三刹の言及

【永平寺】より

…1615年(元和1)江戸幕府より〈永平諸法度〉が下され,総持寺とともに曹洞宗総本山の規標を立てるに至り,61年(寛文1)には50石,76年(延宝4)には70石が安堵された。江戸期を通じて永平寺住持は,下野大中寺,下総総寧寺,武蔵竜穏寺の3ヵ寺より交代で晋住する関三刹昇住制をとり,幕末まで続いた。永平寺の伽藍は,そのほとんどが近年の建築物であるが,山門,仏殿,法堂,僧堂,庫院,浴司,東司の七堂伽藍が天童山を模して配備されており,宋代叢林の様式をよく伝え,現在も古規にのっとった修行生活が続けられており,また一般参拝者でにぎわっている。…

※「関三刹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

一月五日ごろから二月二、三日ごろの、小寒、大寒合わせた約三〇日間。寒中(かんちゅう)。《 季語・冬 》[初出の実例]「寒(カン)の中 薬喰 声つかふ 酒作 紅粉(べに) 門垢離(かどごり)」(出典:俳...

寒の内の用語解説を読む