世界大百科事典(旧版)内の関和久遺跡の言及
【泉崎[村]】より
…従来純農村であったが,企業誘致などにより人口は減少から増加に転じた。古くから開かれた地で,縄文~弥生時代の遺跡や古墳が多く,泉崎駅東方には,朱で描かれた壁画をもつ泉崎横穴古墳(史),南部の阿武隈川北岸には古代の白河郡衙跡とみられる関和久遺跡,北部を通る東北自動車道路沿いの踏瀬には観音山磨崖供養塔婆群がある。【佐藤 裕治】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」