関和久遺跡(読み)せきわくいせき

世界大百科事典(旧版)内の関和久遺跡の言及

【泉崎[村]】より

…従来純農村であったが,企業誘致などにより人口は減少から増加に転じた。古くから開かれた地で,縄文~弥生時代の遺跡や古墳が多く,泉崎駅東方には,朱で描かれた壁画をもつ泉崎横穴古墳(史),南部の阿武隈川北岸には古代の白河郡衙跡とみられる関和久遺跡,北部を通る東北自動車道路沿いの踏瀬には観音山磨崖供養塔婆群がある。【佐藤 裕治】。…

※「関和久遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む