関隴集団(読み)かんろうしゅうだん

世界大百科事典(旧版)内の関隴集団の言及

【隋】より

…こうした文帝の政治を支え,政策の立案・実行に加わったのは,高熲(こうけい),蘇威(534‐621)に代表される一群の官僚たちであった。彼らは,西魏=北周の漢人・北人(とくに鮮卑系)協力体制のなかから出身したことによって,一般に〈関隴(かんろう)集団〉とよばれ,すぐれた現実感覚,文武両道にわたる実務的能力を備えて隋の政界において指導的役割を果たした。家柄のみを誇り,現実社会から遊離しつつあった門閥貴族層は,このような新しいタイプの官僚の進出,その彼らによる門閥主義の拠りどころであった九品官人法の撤廃,あるいは地方政治の場からの排除を通じて,基盤をひとつひとつ奪われ,後退を余儀なくされた。…

※「関隴集団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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