闕所地(読み)けっしょち

世界大百科事典(旧版)内の闕所地の言及

【公方御料所】より

…(1)足利氏の本領 鎌倉時代末に足利氏が持っていた所領35ヵ所,建武期に恩賞として与えられた所領45ヵ所などが知られているが,このうちで15世紀初頭まで料所であったものは足利荘などごく一部であった。(2)闕所地(けつしよち) 戦乱時〈敵方与同〉などの事由により没収された所領は,いったん政所料所とされ,その後に恩賞地とか寄進地とするのが本来の体制であった。しかし被没収者の一族には申請により闕所地を優先的に給与する慣例が定着してきたり,守護の処分権が強くなる傾向があったから,料所として残るものはけっして多くはなかった。…

【没官領】より

…没官領は,鎌倉幕府登場以後も原則として朝廷が行う没収所領に対して用いられた語であり,承久の乱後没官された3000余所に及ぶ没官領を最大の例として,しばしば登場する。しかし南北朝を境として,朝廷が形式的にも土地領有の権限を失うとともに使用されなくなり,幕府がその独自の対象に用いてきた没収地,闕所地(けつしよち)などの語がその意味をも担うこととなった。【義江 彰夫】。…

※「闕所地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」