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阿多平四郎 あたへいしろう

世界大百科事典内の阿多平四郎の言及

【阿多氏】より

…平家の追討使平家貞は数度渡海を企てたが成功せず,空しく帰洛。忠景没落後,女婿阿多平四郎信(宣)澄がその遺領を相続したが,92年(建久3)鎌倉幕府から平家謀反のときの張本の一人であるとして改易された。これとは別に室町期以後,島津氏一族町田氏の一流に阿多氏がある。…

【硫黄島】より

…これは俊寛説話として著名であり,本島に俊寛を祭った御祈神社や俊寛堂がある。同じころ勅勘をこうむった南薩摩の豪族阿多平四郎が本島へ逃亡し,六波羅から追討使が派遣されたが渡海に失敗した。1186年(文治2)河辺平太道綱が本島へ逃亡し,翌年には義経同意のやからが隠れているという疑いがあったため,源頼朝は宇都宮信房と鎮西九国奉行天野遠景をつかわして本島で合戦し,これを帰順させた(《吾妻鏡》)。…

※「阿多平四郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報