世界大百科事典(旧版)内の阿曇山背比羅夫の言及
【阿曇比羅夫】より
…生没年不詳。阿曇山背比羅夫とも称す。642年(皇極1),舒明天皇の死を弔する百済使節とともに帰国,弔使の応対に当たっているから,舒明朝,すでに百済に使していたことがわかる。…
※「阿曇山背比羅夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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