世界大百科事典(旧版)内の陰宅の言及
【墓】より
…先秦時代までは,地下に墓壙を掘り,その中に木槨をこしらえて棺を入れるという竪穴墓が主流を占めていたが,やがて地下に掘った横穴を墓穴とする洞窟墓が生まれ,墓道がつくられるようになった(木槨墓)。この変化は,墓を単なる死体の保存場所と考えることから,住居と墓を並称して陽宅陰宅と呼ぶことに明らかなように,生前と同様の生活を営む場へと墓の意義を転じる死生観の変化を意味した。そこで,副葬品も生前用いたと同じ武器,道具,楽器,食料品,明器(めいき)など,数量が多くなり,当然墓室も広くなり,壁画で飾られた墓も出てきた。…
【風水説】より
…堪輿,地理,青烏などの別称がある。その原理は,人間に及ぼす地気の作用を信じ,山脈,丘陵,水流などの地勢を観察して,さらに陰陽五行や方位(青竜=東,朱雀=南,白虎=西,玄武=北)をも考え合わせ,その最も吉相と見られる地を選んで,これに都城,住居,墳墓をつくらせる地相学,宅相学,墓相学で,生人の住居の場合を陽宅,墓地の場合を陰宅とよぶ。とくに陰宅を重視し,最良の地を選んで父祖を葬れば,祖霊が安定するだけでなく,その一家一族が繁栄して,子孫の中から科挙合格者や高位高官の者を出すであろうと説く。…
※「陰宅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」