世界大百科事典(旧版)内の陳煥章の言及
【孔子批判】より
…だが,太平天国が命脈を終えるとそうした動きは中断,本格的批判運動は中華民国成立以後にもちこされた。 1913‐15年,陳煥章,康有為ら保守派の学者の音頭によって,孔子の教えを国教にしようとする孔教運動がおこり,袁世凱の帝制がさけばれるなかで,新文化運動が開始される。〈民主と科学〉を旗じるしとする雑誌《新青年》を中心に,中国の社会と文化を改革するためには,中国の封建体制の基礎となっている家族制度とそれを支えてきた孔子の教え(儒教)を否定せねばならぬ,という認識が進歩的知識人の共通のものとなった。…
※「陳煥章」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」