陸奥鎮所(読み)むつちんしょ

世界大百科事典(旧版)内の陸奥鎮所の言及

【多賀城】より

…おそらく8世紀初頭から前半にかけての時期にはすでに建造されていたと考えられるが断定はできない。《続日本紀》の養老年間(717‐724)から記載のみられる〈鎮所〉〈陸奥鎮所〉が多賀城の前身であるとするのが通説であるが,その性格づけ等未解決の問題も残されている。一方多賀城の正面に立つ多賀城碑には,724年(神亀1)大野東人の創建と記されている。…

【鎮守府将軍】より

…それが鎮守将軍の名に統一されるのは,729年(天平1)からで,そのときの鎮守将軍は大野東人。鎮守府(はじめは陸奥鎮所といった)の制度もこのころ整えられたのであろう。鎮守府は奈良時代には多賀城(宮城県多賀城市)の陸奥国府に併置されていたが,802年(延暦21)征夷大将軍坂上田村麻呂が造胆沢城使となって胆沢城(岩手県水沢市)を築き,そこに移した。…

※「陸奥鎮所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む