世界大百科事典(旧版)内の陽徳寺古墳の言及
【岐阜[市]】より
…岐阜県南西部にある県庁所在都市。1889年市制。人口40万7134(1995)。中心市街地は濃尾平野北部,長良川の扇状地の扇頂部に位置し,戦国時代斎藤道三が金華山(稲葉山)に城を築き,その城下町から発達した。1567年(永禄10)織田信長が斎藤氏を亡ぼして入城し,それまで井ノ口と称していた町を岐阜と改め,職人,商人を集めて城下町を繁栄させた。織田氏が亡びて城は中山道宿場の加納に移され,江戸時代の岐阜は尾張藩領の町人の町として再出発し,また谷口集落として長良川の舟運による物資の集散地の機能を果たした。…
※「陽徳寺古墳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」