すべて 

雑賀攻め(読み)さいがぜめ

世界大百科事典(旧版)内の雑賀攻めの言及

【紀伊国】より

…かくて戦国時代の紀伊国には,畠山氏の分裂もあって,一国を統率するだけの有力者が台頭せず,新旧の地域的諸集団が同盟と抗争をくり返す状態が続き,国内の統一は織田信長や豊臣秀吉の紀州攻めを待たねばならなかった。【小山 靖憲】
【近世】

[支配の変遷]
 近世的な統一勢力の動きは織田信長の雑賀攻めころからみられる。信長は石山本願寺を征服しようとしたが,その背後にある紀州雑賀の勢力が強大であるために,1577年(天正5)2月に数万の兵で紀州攻撃をした。…

※「雑賀攻め」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

すべて 

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む