世界大百科事典(旧版)内の雑賀攻めの言及
【紀伊国】より
…かくて戦国時代の紀伊国には,畠山氏の分裂もあって,一国を統率するだけの有力者が台頭せず,新旧の地域的諸集団が同盟と抗争をくり返す状態が続き,国内の統一は織田信長や豊臣秀吉の紀州攻めを待たねばならなかった。【小山 靖憲】
【近世】
[支配の変遷]
近世的な統一勢力の動きは織田信長の雑賀攻めころからみられる。信長は石山本願寺を征服しようとしたが,その背後にある紀州雑賀の勢力が強大であるために,1577年(天正5)2月に数万の兵で紀州攻撃をした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」