世界大百科事典(旧版)内の雲厳の言及
【太良荘】より
…史料上の初見は51年(仁平1)。忠政の子若丸は叡山の山僧丹生出羽房雲厳となり,78年(治承2)知行国主により公文職に補任され,治承・寿永の内乱を若狭最大の在庁官人である稲庭時定の指揮下で戦い,鎌倉殿御家人になった。雲厳は師の凱雲をこの地に招き,73年(承安3)薬師堂を建立,自己の所領末武名を預け,一方,凱雲はさらに86年(文治2)馬上免を開発する。…
※「雲厳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」