世界大百科事典(旧版)内の雲石路の言及
【吉田[町]】より
…北東流する可愛川に多治比川が合流するあたり,沖積地にある吉田はその中心地で,南北朝期以降毛利氏はここに郡山(こおりやま)城を築いて本拠とし,1591年(天正19)毛利輝元が広島城に移るまで城下町として栄えた。江戸時代は山陰地方と広島城下を結ぶ雲石路の宿場で,可愛川舟運の港もあり,俗に〈吉田千軒〉と称される町であった。可愛川沿いに水田が開け,米作のほか野菜やシイタケ栽培が行われ,工業団地も造成されている。…
※「雲石路」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」