世界大百科事典(旧版)内の《霊鷲山釈迦説法図》の言及
【釈迦】より
…鎌倉時代の釈迦信仰の流行に伴って多くの模刻像が造られた。 絵画作品としては,法隆寺金堂壁画中には釈迦を主尊とする浄土,すなわち釈迦浄土図があり,霊鷲山(りようじゆせん)における釈迦の説法の情景を描いた〈霊鷲山釈迦説法図〉としてもと東大寺法華堂に伝わった《法華堂根本曼荼羅》(ボストン美術館)や《釈迦説法図繡帳》(奈良国立博物館)など,飛鳥・奈良時代の作品がある。また涅槃図や仏伝図としても多くの作品があり,ことに応徳3年(1086)の銘を有する涅槃図や再生説法を描いた《釈迦金棺出現図》(京都国立博物館)などは,平安時代の著名な作品である。…
【珍海】より
…南都東大寺の碩学(せきがく)で作画に長じた画僧。藤原基光の子で,父子ともに画技をよくした。東大寺覚樹の下で三論・俱舎・法相などを学び,已講(いこう)となる。のち高野山の覚鑁(かくばん)や定智の師でもあった醍醐寺定海,さらに勧修寺寛信にも学び,密教図像に精通した。確証ある作品は現存せず,白描図像の中で《聖天図》(東寺)は古来珍海の筆になるとされてきたが断定できない。珍海の図像を転写したとされるものがあり,中では《仁王経五方諸尊図》(東寺)の南方幅などが知られている。…
【法華経美術】より
…遺品として海住山寺本や,鎌倉時代末の富山県本法寺本や,静岡県本興寺本などがある。 一方,《法華経》の一部のみを典拠としたものの中で代表的なものとしては,序品などによる《霊鷲山釈迦説法図(釈迦霊山浄土図)》がある。飛鳥・奈良時代の作例として,法隆寺金堂壁画中の1号壁の〈釈迦浄土変〉や《法華堂根本曼荼羅(釈迦霊鷲山説法図)》(ボストン美術館)などがある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」