世界大百科事典(旧版)内の霞が関外交の言及
【外務省】より
…外務省は創立の際,現在の東京都中央区築地にあったが,70年12月,千代田区霞が関の民部省跡(福岡藩主黒田邸跡)の現在の地に移った。以後,77年の火災で中央区浜離宮庭園内にあった延遼館(当時の迎賓館)に一時移転し,また太平洋戦争末期から戦後初期におもに霞が関周辺の各所に移った期間を除き,現在の地にあり,このため〈霞が関外交〉の名が生まれた。 69年の前記職員令により,外務省を含む6省にそれぞれ卿,大輔,少輔,大丞,権大丞,少丞,権少丞などの官が置かれ,初代の外務卿には沢宣嘉,外務大輔には寺島宗則が就任した。…
※「霞が関外交」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」