世界大百科事典(旧版)内の青方陽直の言及
【福江藩】より
…富江分知によって,1661年(寛文1)有川湾の漁業権をめぐる海境争論がおこり,89年(元禄2)沖を入会にするという幕府の裁決で決着した。7代藩主盛佳(もりよし)のとき,1721年(享保6)後見役の青方陽直は領内検地と人別改を実施し,生産力と農漁民の把握につとめたが,8代藩主盛道は窮乏した藩財政を再建するため63年(宝暦13)3年奉公制を実施し,五島藩政中最大の悪政と評された。9代藩主盛運(もりゆき)は上知令の実施とともに荒廃地の復興と農漁民の把握につとめたが,天明の飢饉によって藩財政はいっそう窮乏した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」