世界大百科事典(旧版)内の鞆城の言及
【鞆】より
… 鞆には公式海駅がおかれ,幕府使臣をはじめ,諸大名,朝鮮通信使らの往来に備えて諸施設が整えられた。福島正則は中世の大可島城とは別に,3層の天守をもつ鞆城を築いて城番をおいたが1615年(元和1)の一国一城令で廃棄され,正則改易ののち福山に入部した水野勝成は鞆に長子勝俊を配した。39年(寛永16)鞆奉行を置いて,鞆在番衆や鞆目付を常駐させた。…
【海部[町]】より
…中心地は海部川河口南岸を占める鞆奥地区で,純漁村の鞆浦と商業町の奥浦からなる。元亀年間(1570‐73)海部氏が鞆浦に海部城(鞆城)を築いたのがその発祥で,蜂須賀氏の阿波入国後も阿波・土佐国境の要地として重視され,奥浦は城下町として栄えた。寛永年間(1624‐44)海部城は一国一城令によって廃されたが,その後も郡代役所が置かれ,海部地方の中心的地位を占めた。…
※「鞆城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」