鞆淵氏(読み)ともぶちうじ

世界大百科事典(旧版)内の鞆淵氏の言及

【鞆淵荘】より

…平安~鎌倉期の当荘については不明な点が多いが,1228年(安貞2)に石清水八幡宮寺より,現地の鞆淵八幡神社に送進された神輿(国宝)が現存することは注目される。1333年(元弘3)後醍醐天皇の勅裁によって高野山領に編入されたが,この前後より下司鞆淵氏と,惣荘結合をとげつつあった百姓との間に激しい抗争が起こった。南北朝期の47年(正平2∥貞和3)ころより下司鞆淵景教と百姓が夫役(ぶやく)をめぐって対立したが,石清水八幡宮寺領時代の所務(しよむ)に準ずることを要求する百姓の主張が高野山の調停によって認められ,51年(正平6∥観応2)紛争はいったん終息した。…

※「鞆淵氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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