世界大百科事典(旧版)内の韓国駐劄軍の言及
【朝鮮駐劄軍】より
…甲申政変の翌年,85年に日清間で結ばれた天津条約で,日清両軍は朝鮮から撤退したが,日清戦争で日本軍が大挙朝鮮に出兵し,戦争終了後も公使館守備隊が駐屯,さらに96年の日露協定(小村=ウェーバー覚書)で,ソウル,釜山,元山および京釜間電信線保護のため日本軍の常駐が約され,この状況が日露戦争直前まで続いた。日露戦争の開戦に先立ち日本軍歩兵1大隊が朝鮮に派遣され,開戦後さらに増強され,1904年3月11日に6大隊半の兵力で新たに韓国駐劄軍を編成した。韓国駐劄軍は〈帝国公使館領事館及居留民ノ保護ニ任シ且ツ京城ノ治安ヲ維持シ我作戦軍ノ背後ニ於ケル諸設備ヲ全フシテ其運動ヲ容易ナラシムル〉という目的で創設されたが,事実上は朝鮮占領軍にほかならず,日露戦争中はもとより,その後も朝鮮の抗日民族運動の鎮圧に当たるとともに,ロシア,中国との国境の防備やシベリア・満州地方への勢力拡張に備える軍事力として維持強化された。…
※「韓国駐劄軍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」