須玖式土器(読み)すぐしきどき

世界大百科事典(旧版)内の須玖式土器の言及

【須玖遺跡】より

…福岡県春日市岡本町を中心にひろがる弥生時代遺跡群。牛頸山から福岡平野に突出した低丘陵地帯には多くの弥生遺跡が知られ,この中でとくに有名なのが丘陵の北端にある須玖遺跡である。遺跡の三方には広い平地が望まれ,丘陵上には墓地群を中心とした遺跡が発見されている。1899年に巨石の下から甕棺墓が発見され,前漢鏡約30面,ガラス璧(へき),勾玉,銅剣,銅矛(どうほこ),銅戈(どうか)など多数の副葬品が出土して注目されるようになった。…

【弥生土器】より

… II~IV期(中期)の弥生土器は地方差が明瞭である。九州地方では輪郭の曲線の美しさと磨いた肌の美しさとを追求し,文様をほとんど捨て去った須玖(すぐ)式土器が代表をなす。中国・四国地方から愛知県・石川県に及ぶ範囲では,先端が3本以上に分かれた工具で引いた線(櫛描(くしがき)文)で飾った櫛描文土器が発達し,これ以東の地方および九州地方にも影響を与えた。…

※「須玖式土器」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」