世界大百科事典(旧版)内の頼鴨崖の言及
【頼三樹三郎】より
…幕末の志士,儒者。名は醇,通称三樹三郎,三樹八郎ともいい,号は鴨崖。頼山陽の三男。1843年(天保14)昌平坂学問所遊学,寛永寺の石灯籠を倒すなどして徳川氏への反感を示した。49年(嘉永2)京都で開塾,梅田雲浜(うんぴん),梁川星巌らと交渉を深め,公家の間に幕府批判の意見を入説した。58年(安政5)戊午の密勅降下に関係し井伊大老の失脚をはかったため,安政の大獄で処刑される。【山口 宗之】…
※「頼鴨崖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」