《風刺文弁護》(読み)ふうしぶんべんご

世界大百科事典(旧版)内の《風刺文弁護》の言及

【クーリエ】より

…とくに極右王党派が政権を握った晩年の5年間は自由主義者として健筆を振るい,投獄されたこともある。有名な《風刺文弁護Pamphlet des pamphlets》(1824)を公にした翌年,妻の恋人の企みで暗殺された。書簡作家としても知られ,《フランスとイタリアからの手紙》(1824)を残している。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」