馬家浜文化(読み)ばかひんぶんか

世界大百科事典(旧版)内の馬家浜文化の言及

【上海】より

…《禹貢》にみえる〈三江既入,震沢底定〉(三江)はこの状態を示したという説もある。崗身より西には,金山県査山,上海県馬橋,青浦県崧沢(すうたく)など,多くの新石器時代遺跡があり,文化類型に応じて,馬家浜文化,崧沢文化,良渚文化などと呼ばれている。これらの文化は江蘇南部より浙江北部にかけて一つのまとまりをもって分布しており,同時期に江蘇北部より山東にかけて発達していた青蓮岡文化,大汶口文化とは,近似しながらも性格を異にしている。…

【浙江[省]】より

…この文化は北方の黄河流域の仰韶(ぎようしよう)文化とはまったく異なったもので,当時,中原とは別の生活様式をもつすすんだ文化が発展していたことを示す。 河姆渡文化は,他に類似の遺跡が発見されておらず,その文化の分布範囲や他の文化との関係など,不明な点も多いが,それにつづく前4500‐前2000年ころにかけて,馬家浜文化(嘉興県),崧沢(すうたく)文化(上海市),良渚文化(杭州市)などと呼ばれる文化が,江蘇南部から浙江北部に展開する。これらの文化でみられる稲作,養蚕,家畜飼育などは,河姆渡文化でみられたものをより充実し複雑な姿にしたもので,長江下流域を中心にひとつのまとまった文化圏が形成されていることを示す。…

※「馬家浜文化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」