世界大百科事典(旧版)内の駿河府中の言及
【駿府】より
…南北朝以後,今川氏の守護所が置かれ,戦国大名今川氏の覇府として政治・経済・交通の中心地となり,応仁の乱後,戦乱の京都を避けて三条実望,飛鳥井雅綱,三条西実隆らの公卿,連歌師宗長,宗祇らの文人の往来が相次ぎ,西の山口と並ぶ地方文化の中心地となった。《実隆公記》享禄3年(1530)3月3日の条によれば,〈駿河府中二千余〉が焼失したと伝える殷盛の町であった。商業の中心地は今宿,本町で,友野座が形成され,友野氏は駿府商人頭,松木氏は蔵役・酒役を免許されるなど活発な商業活動があった。…
※「駿河府中」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」