世界大百科事典(旧版)内の驪山陵の言及
【秦】より
…外政に関しては,前215年に蒙恬(もうてん)を将軍として匈奴を討ち,万里の長城を築いて異民族の侵入を防ぎ,南は華南一帯を領土に収め,また東方の朝鮮にも軍隊を進めて東アジアにおける最初の大帝国を築きあげた。秦帝国を完成した始皇帝が,皇帝としての威厳の象徴として造営したのが〈阿房宮〉と〈驪山陵(りざんりよう)〉(始皇陵)である。1万人が座ることができるとされた広大な規模の阿房宮前殿は,現在長安の北西にその土壇の遺跡をとどめ,また長安の東,臨潼県付近には,始皇帝の陵墓である驪山陵が残っており,ともに空前の大土木工事のよすがをとどめる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」