高橋源吉(読み)たかはしげんきち

世界大百科事典(旧版)内の高橋源吉の言及

【明治・大正時代美術】より

…一方,高橋の師川上冬崖や,横山松三郎(1838‐84),国沢新九郎(1847‐77)らも画塾を開いて,洋画研究の道を進めている(画学校)。 日本で最初の正則の西洋画教育を行った工部美術学校からは,フォンタネージの薫陶のもとに浅井忠,五姓田(ごせだ)義松,小山正太郎,松岡寿(ひさし)(1862‐1943),山本芳翠,中丸精十郎(1841‐96),高橋(柳)源吉(1858‐1913)ら明治中期を代表する洋画家が育った。フォンタネージはバルビゾン派の影響を受けた,イタリアでは一流の画家で,工部美術学校でもその画技と人格を敬愛されたが,78年脚気を病んでイタリアに帰る。…

※「高橋源吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」