世界大百科事典(旧版)内の鰊肥の言及
【ニシン(鰊∥鯡∥春告魚)】より
…これが漁業といえるようになるのは松前藩成立(慶長期)以後のことで,寛文(1661‐73)ころにようやく盛んになり,北国航路の要港敦賀(つるが)でニシン,かずのこが販売されるまでになった。松前藩では鰊役を設け,また松前地の漁民は〈春三月の間に凡百日鰊を取り,一年中の暮し方の代〉とする(《東遊雑記》)ほどニシンは重要で,幕末には全道漁獲高20万石前後の70%を占め,そのほとんどが鰊肥加工された。松前藩の財政,藩民の生活を左右するこのニシン漁業は,安永・天明期(1772‐89)の凶漁の後,大網(引網,笊網,建網)の導入,享保期(1716‐36)の場所請負制の成立とともに盛んになり,文化期(1804‐18)を画期にさらに発達する。…
※「鰊肥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」