世界大百科事典(旧版)内の鴨緑江鉄橋の言及
【鴨緑江】より
…鴨緑江は木材の運搬にも利用され,いかだ流しが盛んに行われたが,水豊ダムの建設により中止された。冬季には結氷し,徒歩での渡河も可能だが,1911年,新義州と対岸の安東(現在の丹東)間に鴨緑江鉄橋が完成,朝鮮・中国間に直通列車が走るようになった。鴨緑江の豊富な水資源は日本統治下で早くから注目され,1920年代末以後蓋馬(かいま)高原を流れる諸支流に人工湖が築かれ,流路変更式の水力発電所が建設された。…
【新義州】より
…李朝時代までは,新義州から鴨緑江の上流19kmの距離にある義州に国境防備の要地として軍営が設置され,また中国との間に国境貿易が行われ,湾商とよばれる義州商人が活躍するなど,義州がこの地域の中心地であった。1906年,日露戦争を契機に京義鉄道がソウルから新義州まで開通し,また対岸の安東市とを結ぶ鴨緑江鉄橋(944m)が1911年に完成すると,経済はもちろん行政の中心も新義州に移り,義州は山間の小都市に後退した。鴨緑江の氾濫原に計画的に建設された新義州の市街地は碁盤状に整然と区画され,朝鮮の他の都市に見られない特徴的な景観を示している。…
※「鴨緑江鉄橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」