世界大百科事典(旧版)内の黄嗣永帛書の言及
【黄嗣永】より
…中国人神父の周文謨から洗礼を受ける。1801年の辛酉教獄に際し,ソウルから忠清道堤川郡鳳陽面舟論の土窟に身を隠して,北京のグベーア司教あてに訴願を帛(しろぎぬ)に記した(黄嗣永帛書(はくしよ))。しかし同年11月に帛書とともに捕らえられ,翌月,大逆不道の罪名で極刑に処された。…
【辛酉教獄】より
…こうした弾圧に対して,周の信徒の黄嗣永(こうしえい)は,北京のグベーア司教に帛(しろぎぬ)に記した救援要請書を送ろうとしたが捕らえられ,〈帛書〉も押収された。〈黄嗣永帛書〉は朝鮮政府にキリスト教を公認させる手段として,清の宗主権の行使と西洋艦隊の示威を求めていたので,朝鮮政府に深刻な危機感を抱かせた。その結果,弾圧は強化され殉教者は約140名に上った。…
※「黄嗣永帛書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」