世界大百科事典(旧版)内の黄文弼の言及
【オロン・スム】より
…中国,内モンゴル自治区ウランチャブ(烏蘭察布)盟百霊廟の北北東,アイブガ川左岸にある元代のオングート(汪古)部の土城址。1929年,ヘディン西北科学考査団の黄文弼(こうぶんひつ)によって元碑のあることが発見された。その後,江上波夫はここに十字架のある景教徒の墓石を発見し,35‐41年に3度の調査を行った。…
【紙】より
… 20世紀に入ってイギリスのオーレル・スタインやスウェーデンのスウェン・ヘディンなどが新疆ウイグル自治区でいくつかの古い紙を発見した。1933年には中国の考古学者黄文弼(こうぶんひつ)がロブ・ノールの堡塁で発見した1枚の紙が注意される。4cm×10cmの小さな粗末な紙であるが,同じ場所で黄竜1年(前49)の年紀のある木簡が併出しており,紙はほぼ同時代のものと推定された。…
【クムトゥラ石窟】より
…南から北へ三つの山峡があり,前2者の山峡には,ドーム天井の方形主堂に後堂をもつ窟や,長い入口通廊にドーム天井をもつ方形主室が続く窟があり,壁画はキジル石窟の後期様式と並行するが,一部に改修がある。1903年に第1回大谷探検隊,06年にグリュンウェーデル,07年にペリオ,28年に黄文弼が調査した。石窟群の主要部は第3峡に群集し,唐の年紀(843年から894年までにわたる)をもつ題記が多数あることから,グリュンウェーデルは〈碑文石窟Inschriften Schlucht〉と名づけた。…
※「黄文弼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」