世界大百科事典(旧版)内の黒瀬湊の言及
【木曾川】より
…すでに天文(1532‐55)のころ,斎藤正義の金山(かねやま)城下に船の往来が盛んとなっており,その後,江戸中期まで,この兼山湊が広い後背地を擁して木曾川上流の商業の中心地として発展し,ことに下流から上せる塩の販売拠点となった。後期になると,細目村の黒瀬湊が木曾川遡航(そこう)の終着地として商業の中心地となった。上流には,そのほか小山,川合,取組,犬山,中流には草井,円城寺,笠松,北方,起(おこし)などの港,河岸が発達し,起が美濃路の宿,渡船場として発展した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」