世界大百科事典(旧版)内の黒韃靼の言及
【タタール】より
…またタタール部の中には金に下り,その北辺防衛の任にあたるものもいた。金では遼をうけて,タタールを阻(そぼく)と呼んだが,宋は韃靼(一つに黒韃靼)と呼んでいる。 12世紀の半ばタタール部の支配下にあったモンゴル部が独立し,〈普(あまね)きモンゴル国〉を建てたが,のちにタタール部はこれを攻撃して壊滅的打撃を与えた。…
【タタール】より
…またタタール部の中には金に下り,その北辺防衛の任にあたるものもいた。金では遼をうけて,タタールを阻(そぼく)と呼んだが,宋は韃靼(一つに黒韃靼)と呼んでいる。 12世紀の半ばタタール部の支配下にあったモンゴル部が独立し,〈普(あまね)きモンゴル国〉を建てたが,のちにタタール部はこれを攻撃して壊滅的打撃を与えた。…
※「黒韃靼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」