世界大百科事典(旧版)内の10ヵ国軍縮委員会の言及
【ジュネーブ軍縮委員会】より
…第2次世界大戦後,軍縮交渉は国連の場でなされたが,この問題が米ソのヘゲモニー確立の好材料と化したため,国連の機構外に東西交渉の場を設けようという動きが生じ,1958年9月,米英仏ソの四大国の合意により,東西両陣営それぞれ5ヵ国(アメリカ,フランス,イギリス,カナダ,イタリア,ソ連,ポーランド,チェコスロバキア,ルーマニア,ブルガリア)からなる〈10ヵ国軍縮委員会〉が発足し,60年3月から,ジュネーブにおいて審議を開始した。しかし,U2型機事件がおこり,同年6月同委員会は決裂した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」