10ヵ国軍縮委員会(読み)じっかこくぐんしゅくいいんかい

世界大百科事典(旧版)内の10ヵ国軍縮委員会の言及

【ジュネーブ軍縮委員会】より

…第2次世界大戦後,軍縮交渉は国連の場でなされたが,この問題が米ソのヘゲモニー確立の好材料と化したため,国連の機構外に東西交渉の場を設けようという動きが生じ,1958年9月,米英仏ソの四大国の合意により,東西両陣営それぞれ5ヵ国(アメリカ,フランス,イギリス,カナダ,イタリア,ソ連,ポーランド,チェコスロバキア,ルーマニア,ブルガリア)からなる〈10ヵ国軍縮委員会〉が発足し,60年3月から,ジュネーブにおいて審議を開始した。しかし,U2型機事件がおこり,同年6月同委員会は決裂した。…

※「10ヵ国軍縮委員会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む