世界大百科事典(旧版)内のAlbrechtvonBrandenburg-Ansbachの言及
【ドイツ騎士修道会】より
…国土の疲弊やハンザ貿易の衰退のみならず,ドイツ騎士修道会は皇帝や本国からも実質的な援助が得られないまま,ポーランドとの13年戦争ののち66年の第2トルンの和議でポンメルエレンとエルムラントを失い,ドイツ騎士修道会の支配は弱体化していった。最後の総長アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクAlbrecht von Brandenburg‐Ansbachは1525年にルター派に改宗し,プロイセンを世俗公国とし,みずからプロイセン公として,ポーランド王から封を受けた。このときにプロイセンのドイツ騎士修道会は解体した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」